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おなかがすいたら登れない(旧)

ネコは空飛び、犬は登る

文京区湯島の完璧なトマソン

引っ越しで本、雑誌を大量に処分したが、いくらかは手許に残した。
若いころに愛読した本や、影響を受けた著者の本は、めったに再読することがないとしても、やっぱり処分できない。
いまは、多くの本は電子書籍として文章のデータだけを買うこともできるし、いわゆる“自炊”という手もある。場所をとらないのだから、本を単に「情報」として捉えるのであればその方が合理的だろう。
だが、紙にインクで印刷された“モノ”としての本へのフェティッシュな執着または愛情というのは、どうしても捨てられない。ばかばかしいが、ばかばかしいのが人間だ。(と思ってしまうところが、自分のダメなところでもあるが。)


わずかに手許に残した書籍の中に、一昨年に亡くなった赤瀬川原平氏の著作が何冊かある。影響を受けた、ということだろう。
『東京ミキサー計画』や『超芸術トマソン』を愛読したことと、ロッククライミングを愛好していることとは、自分の中で同根で繋がっている。それに類することは、今までもときどき書いてきたが、ロッククライミングは「美」に対する意識を抜きにしては、成立しない。それはいわゆる美意識と呼ばれるものだけではなく、美に対する反省的/対自的な意識、という意味においてである。
(プラスチックホールドを登るインドアクライミングは、また別だと思う)。


先日、前居の近くをトボトボと歩いていたら、ほとんど完璧なトマソン物件を発見した。これには驚いた。なにしろ前居から徒歩で3、4分のすぐ近所だ。駅などへ行く生活道路からは少し外れているものの、その辻だって何度も歩いている。
それなのに、こんな見事なトマソン物件に、なぜ今まで気が付かなかったのだろう? それが引っ越しの直前になって遭遇だなんて、なんだか出来過ぎている。彼の地を離れるにあたっての、神様からのはなむけだろうか。

▼「純粋門」(文京区湯島。2016年1月採取)。通常の門が持つ内部と外部を隔てる役割を超越した、純粋存在としての門。
(とりあえずその時に持っていた携帯電話(ガラケー)のカメラで撮影したので、画質が悪いが)
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▼裏(内部?)から見ると。鉢植えがいい味を出している。
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by seeyou44 | 2016-02-06 23:37 | よしなしごと


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